少女時代はキム・ヨナにはなれないのか

MYDAILY |

「いつか、こんなことを思ったことがある。ダンスを踊るバレリーナ、歌を歌うオペラ歌手、私も彼らのように踊って歌を歌う。それなのに、なぜ、私のことを人々はアイドルと呼ぶのだろうか。フィギュアスケートのキム・ヨナ選手の演技を人々は芸術だと言う。キム・ヨナ選手も自分の種目で、音楽を表現するために努力する専門家だ。そして同じ側面で私も歌手という種目で音楽とエネルギーを表現するために努力する専門家である。なのになぜ、私には芸術家という称号がついてこないのだろう? オリンピックで金メダルを取ることができなかったからか?」―少女時代のスヨンの「私はアーティストだ」より―

今まさにK-POPを中心に世界が動いている。すべての文化コンテンツがK-POPを中心に企画されており、音楽界はもちろん、エンターテインメント産業すべての側面でK-POPを抜いて話すことが出来ないほど、その影響力が絶大だ。外交的にもK-POPが推進剤となって、経済、産業分野の様々な協約が締結されるなど、肯定的な影響を及ぼしていることは事実である。

アジアのファンたちにはもちろん、青色の外国人の目にも韓国の歌手が格好よく見えるらしい。過去マイケル・ジャクソンのムーンウォークに熱狂し、ジャッキー・チェン、ジェット・リーの派手なアクションに眠れなかった夜を過ごした時を思い出せば、現在韓国アーティストに寄せられている高い関心が嬉しいだけだ。何より、真の韓国人の底力を見せている同時代に生きていることに重大な責任感まで感じる。

昨年11月21日に放送されたKBS 2TV 「スター人生劇場」の少女時代編で、スヨンの問題提起を見た時、疑問を消すことができなかった。なぜなら、ヨーロッパ、南米など、韓国の文化がまだ不慣れな地域でコンサートを開き、彼らに感動を与えた歌手たち、国威宣揚に成功したアイドル歌手に対する認識は「タンタラ(音楽関係の芸人に対する蔑称)」それ以上でも以下でもないからだ。その過程がどうであれ、結果的に見て、これまで誰もできなかった文化的な成果を上げたにもにも関わらず、だ。 キム・ヨナ、パク・チソン選手には彼らが社会に与えた貢献度を認め、尊敬の視線を送る私たちの姿を見ると、不思議な状況に違いない。

その裏面にはアイドルと芸能人とりわけ「タンタラ」に対する根強い偏見が隠されている。「タンタラ」は芸能人を侮って言う言葉で、国語辞典にも登載されている。 以前には歌を歌って踊る人々を「タンタラ」と呼んで蔑んだ時もあった。

90年代、ファンクラブ文化を作り上げ、韓国の音楽界を主導してきたアイドルグループにも、最初は冷たい視線が共存していた。「顔だけ良い人たち」「歌手なのに歌が下手なんて」などの言葉が付きまとった。もちろん全てが間違ってるというわけではないが、果たして顔だけ良ければ、少し練習しただけでステージに立つことができるだろうか。

最近のアイドル歌手は絶え間ない努力している。ステージの上に立つということはそういうことである。アイドル歌手は幼い頃から数年、長くて数十年を練習する。練習時間を計算するのが無意味なほどだ。言葉どおり、一日中練習しているということが正しいだろう。 最近ではダンスや歌唱力だけが重要というわけにはいかないため、人格教育のために幼い頃から徹底した自己管理を行う。今まで頂点に上がった数多くの歌手がそのように人生を送ってきたし、まだ名を知らせることが出来なかった練習生がそういう時間を過ごしている。

パク・ジニョンはSBS「ニュー!日曜日は楽しい」のオーディション番組「K-POPスター」で優勝候補であるイ・ミシェルにこうした忠告をした「歌唱力が高いからといってうまくいくわけではない。自己管理が出来る人が成功するのだ」

続けて彼は朝6時まで練習してきたが歌詞を覚えなくて最高のステージを披露することができなかったパク・チョンウンに「歌手たちは年末授賞式で今まで一度もやったことがないパフォーマンスを披露する。彼らは毎日徹夜してすべての動線、歌詞を一日で覚えてステージに上がる。パク・チョンウンさんは年末授賞式のステージに立つことはできない。自己管理、努力、真面目さ、根気が一つになって歌手となる。精神的にもっと強くならなければならない」と忠告した。現在ステージの上でファンたちを熱狂させているアイドルの努力を代弁した忠告だと思われる。

写真=KBS 2TV放送キャプチャー
スポーツスターだけが全てを諦め、努力しているわけではない。彼らだけが自身の人生を捧げてるわけではない。アイドル歌手も全てのものを捨ててステージを準備する。 彼らはステージの外でも多くのことをあきらめる。

アイドル歌手と芸術家との境目はどんな基準によるものであり、どこから始まったか、気になって仕方がない。低級で目を楽しませることに過ぎないパフォーマンスと、心に感動を与えて文化的な価値があるパフォーマンスの差は何であれ、誰が決めたのかさっぱり分からない。韓国社会に以前から根強い偏見がこれからも続くなら、現在韓国が誇示している文化波及力は弱くなるだろう。韓国の文化の伝道師を私たちが無視するこの状況が残念で仕方がない。

記者 : チェ・ドゥソン、翻訳:キム・ミソン