Vol.2 ― 「ブレイン」キム・スヒョン “私のような学歴の人は、みんな優等生ですか?”

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写真=イ・セロム記者

「私はたまに目に入ってくる背の高い子供です。そして今は新しい仕事を始めています(笑)」

まだ自分のことを知らない人に自己紹介をしてほしいと言うと、キム・スヒョンはこのように話し、照れたように笑った。見た目や口調から感じられる知的で高級感あふれるイメージは消えてしまった。彼女の予想外の答えからは、20代らしい初々しさが感じられた。

「財閥2世オムチンタル? キャラクターのイメージに過ぎない」

キム・スヒョンのプロフィールの中でも断然目立つのは学歴。梨花女子大学で国際学を勉強した彼女は、5歳から6年間、大手企業に勤める父の勤務先だったアメリカのニュージャージ州で生活した。「ブレイン 愛と野望」で見せたキム・スヒョンの流暢な英会話には、その時の経験が生かされている。高校生時代にTOEIC試験で満点を取った彼女は、校内の英語新聞の記者として活動するほど、並外れた英語力の持ち主。

美しさから高い学歴まで兼ね備えたキム・スヒョンに、人々は「オムチンタル」(母の友達の娘:優等生の意味)という修飾語を付けた。しかし彼女は「財閥の娘などは、これまでしてきた役のイメージにつながっているんだと思う。今はインタビューのためにきれいにしてもらったけど、普段はジャージ姿の時も多い」と謙遜した。

キム・スヒョンが芸能界に入るきっかけとなったのは、2005年の韓中スーパーモデル大会だった。母の誘いで参加したこの大会で優勝した彼女は、この大会を見たある放送関係者の目に入り、SBSのドラマ「ゲームの女王」(06)に出演することになった。その時、初めて演技を経験した。

「小さい頃から、周りにミスコリア大会に出てみたらとよく言われました。でもミスコリア大会に参加するのは大学側も好みませんでしたし、私自身もミスコリア大会を反対する内容の記事を書いたこともあって、参加できませんでした。しかし、スーパーモデル大会は職業としてのイメージが強く、一種の資格だと思って参加してみました」

写真=イ・セロム記者
昨年には翻訳家としてデビューしたキム・スヒョン。「偶然に知り合いから『いい本があるけど、翻訳してみる?』と誘われた。ドラマ『逃亡者 PLAN B』の撮影の時は、翻訳の仕事を並行していて大変だった。いい経験になったけど、またできるかどうか分からない」と当時のことを思い出した。

何事にも積極的なユジンとは違って、キム・スヒョンはとても落ち着いた性格だった。しかし実際の性格について聞くと、自分のことを指差しながら「こうです」と笑った。「私のことを凛々しくてキツイ性格だと思う方が多いが、本当は恥ずかしがり屋で、一人の時間を楽しむ“家っ子”だ。気の強いユジンにはあまり似ていない」と明るい笑顔を見せた。

「国際弁護士の夢はもう捨てた。これからは女優の道を歩みたい」

キム・スヒョンには2006年のドラマ出演以来、2010年「逃亡者 PLAN B」に出演するまで、約4年の空白期間があった。その4年間何をしていたのかという質問に「これが本当に私の道なのか悩んだ」と長い指であごをたたいた。

「2007年の初めまで広告活動を、その後は学校生活を終え、俳優の道に進むべきか悩んでいました。この世界って、固い決意がないと大変だろうなと思って、いろいろと振りかえってみる時間でした」

どうやって演技の道に進むことを決意したのかと聞くと「結局、自分がしたいことは演技だった」とクールに応えた。

「もちろん大変なこともあるでしょうし、決して簡単なことではないけれど、正面からぶつかってみようと決めました。空白期間があってむしろ気楽になりました。あせらず、一つ一つ楽しみながらやって行こうと思うようになりました」

キム・スヒョンの幼い頃からの夢は国際弁護士。でも今は諦めた。彼女は「漠然と国際弁護士になりたいと思っていたけど、大学生の時に興味がなくなった。国際学部で国際法も勉強したが、自分には合わないと思った」と言った。

勉強もでき、翻訳書を出版するほど素晴らしい英語力を備えているキム・スヒョンが、なぜ演技を選んだのか気になった。すると彼女はきっぱりと「自分の意志で演技の道を選んだ。他のことをやりたいとは最初から思わなかった」と述べた。

写真=イ・セロム記者
「小さい頃は自分が演技をするとは思ってもみませんでした。しかしいくつかの作品で、経験したことのないことにも演技を通じて挑戦できるという点にスリルを感じるようになりました。これからいろんなことに挑戦してみたいから、ときめいています。あれこれ考えないで、とにかく挑戦する姿をお見せしたいと思います。楽しみにしてくださいね(笑)」

記者 : イ・ウイン