Secret 「My name is…」

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My name is
チョン・ヒョソン。Secretのリーダーです。

1989年10月13日生まれ。
3人姉妹の2番目です。お姉さんと妹は家で、私だけ病院で生まれたそうです。

小3の時、
早起きの人が何だか素敵に見えて新聞配達を始めました。おかげで結構背が伸びましたね。1ヶ月のお小遣いが1万2千ウォン(現在800円程度)だったんですけど、親が税金を払う時に、「お金貸して」って言うくらい充分な額でした。

大田(テジョン)地域へオーディション
を受けに行ったのに、準備したCDを忘れたんです。オーディションが終わって、「では皆さん全員終わりましたね」って言われて、仕方ないので持ち合わせのCDでオーディーションを受けたんです。準備してたものじゃなかったので、ダメだって思っていたら連絡が来て、ダンス部門で1位だって。

Mnetの「バトル神話」に参加
したのは歌手の神話(シンファ)のためでした。小5の頃から神話のファンで、デビューしても会う機会がなくて。「バトル神話」は私にとっていろいろと勉強になりました。人に期待し過ぎてはいけないとか、自分のことばかり考えてはいけないとか、時には自分の感情を隠したほうがいいとか、そういうのを学びましたね。

19歳の年は厄年
だったかなって思えます。いきなり所属会社の経営が危ないっていうのに確かな情報は何もないし、同期の研修生は一人、また一人と辞めていくし。未来が不安でした。あの時初めて失敗というものを経験しました。

長い研修生の経験
があったので私がリーダーに選ばれたみたいです。五少女(オソニョ)のグループにいた時は末っ子だったのに。あの頃の末っ子みたいな癖が強く残っていて最初はリーダーシップが足りなかったようです。リーダーシップを取り戻すのに大変でしたが、メンバーの皆がいい子なので上手くいったようです。

初の司会経験は
Mnet「少年少女の歌謡白書」でした。デビューする前からこの番組を見ては「面白い番組だし、司会を務めた人は皆後で有名になるよな~」って思っていたのに、運よく私にチャンスが巡って来ました。U-KISSのドンホとは5歳も違うので内心不安でしたけど、ドンホは大人っぽい面があって楽しくお仕事が出来ました。司会は難しいというイメージがありますが、「少年少女の歌謡白書」のおかげで自分だけの司会スタイルを作ってみたいと思いました。

スケジュールが多忙なので、
3日に1度しか熟睡出来ませんね。

最近Secretのママが
いなくなりました。始めの頃はジウンちゃんが皿洗いとか、お掃除とかしてママさん役をやってくれてたのに、残念です。もしお手伝いのヘルパーさんが来てくれたら仕事が多くて泣いちゃうかもしれませんね。

ビヨンセを
尊敬しています。長く活動しながらソロアルバムまで出して皆に愛されてますし、絶えず変化を求めるアーティストですから。なのに来韓コンサートの時に行けなくて残念。

My name is
ハン・ソナ。あだ名は白紙ソナ。

1990年10月6日生まれ。
未だに父親との電話で緊張する釜山(プサン)出身です。

音楽番組の欠放で
「マジック」のステージが少なくなりました。ステージで最高のものをお見せしようとカツラまで用意したのに。激しいダンスでライブをこなす時はカツラが不便です。これからは必要な時だけに使おうと思っていますね。

ヒョソンさんに出会うまでは、
韓国で年上によく使う「オンニ(お姉さん)」って言葉に緊張してました。「絶対に気迫負けしないぞ」って思っていたのに、ヒョソンさんはオンニだけど初めて見たとき「オオ、すごい童顔」って思ったから。ジンガーちゃんは会社にオーディションで来てたのを2回ほど見ていたのでSecretに入って来た時、嬉しかったですよ。ジウンちゃんとも不思議な縁があるんです。私はUntouchable先輩の「全部あげる」で活動を始めたのがきっかけで芸能プロダクションに入ったんですけど、本当はその曲をレコーディングした人がジウンちゃんなんです。いろいろと縁が繋がってて面白いでしょ?

「青春不敗」のユリとテウ、ソンファの三角関係は
私の何気ない一言から始まりました。テウさんに「私も恋愛関係に入っちゃだめ?」って聞いたら「面白そうだね。やってみたら」ってすぐ賛成してくれて。テウさんとユリさんがいろいろと助けてくれたおかげで、いいキャラ作りが出来ました。

KBSの「青春不敗」の初日に
お笑いのキム・シニョンさんがいろいろと面倒を見てくれました。メンバーの輪の中に入れず離れていたらシニョンさんが「ソンファちゃん、こっちおいで」って呼んでくれて、「こういう人が司会者って人なんだな、先輩なんだな」って思いました。AFTERSCHOOLのユイさんとは三角関係のキャラのせいで仲良くなりましたし、少女時代のサニーちゃんとは鶏の捕まえ方を伝授しながら親しくなりました。KARAのハラちゃんは自分から積極的に声をかけてくれるスタイルでしたね。

理想の男性像が
はっきりとあるわけではないですけど、楽な感じで愉快なスタイルの人が好きです。KBS「世代共感の土曜日」で出会ったお笑いのイ・ボンウォンさんの初印象がまさにそれにピッタリ。年相応のスタイリッシュな雰囲気もあって素敵だなって思いました。奥様である芸能人のパク・ミソンさんはそんな私をかわいいと思ってくださってるみたいです。

3つの願い
がかなうとしたら、まず自分を一人コピーしたいです。元々自由な性格だし、今が友達と楽しく遊びたい年頃でしょ? だけど、好きな仕事についた代わりにそうした自由を少し失くしましたから、本当の自分は遊びに行って、コピーに仕事をさせるんです。二つ目の願いは食べ物を山ほど積み上げること。釜山に住んでいた頃は美味しいものがこんなに多いなんて思わなかったのに。パン、特にプレッツェルが一番好きです。最後は瞬間移動が出来たらいいですね。家に早く帰れるし、スケジュールに遅れても早く移動出来るから。どうせなら一日くらい外国旅行をしてもいいですね。

MBC「見れば見るほど愛嬌満点」に
カメオで出演してから演技の面白さを知りました。前は「私に演技なんか出来るのかな」って思っていたのに、チャンスがあったら絶対に演技の勉強をしてみたいです。

MBC every1「家族が必要 シーズン4」で
末っ子の役をしています。実際は長女なので末っ子の役なんてどうすればいいのか分かりません。だから最初の頃は「青春不敗」の4Minute、キム・ヒョナちゃんのように駄々をこねてみたんですけど、それも難しい。「駄々も何処までこねれば視聴者に受け入れられるのか」なんて考えてしまいますので。仮想の家族では、親もお姉さん、お兄さんもよく面倒を見てくれます。実の父親が電話で「テレビみたいに私にも優しくしてくれ」って言う程です。

歌手とバラエティ
を一緒にやっているので歌手のステージとバラエティでの姿を分けた方がいいと考えています。歌手のイ・ヒョリさんなどを見ますと、バラエティではサバサバした姿ですが、ステージでは女性らしいカリスマが目立ちます。そんなアーティストになりたいです。

My name is
ソン・ジウン。

1990年5月5日生まれ。
一人娘です。

マジック(Mazic)を作った
張本人です。人々が一度聞いただけで歌えるように独特な発音を考えたらMagicではなくMazicになりました。

寮生活を始めた頃は
すごくキレイ好きでした。お掃除や洗物の好きなSecretのママだったんです。でも、個人の机がもらえてからは、段々と机の上に物が山積になっていって、今はメンバーのなかで一番汚いかも。

デビューする前は“第2のビッグママ”
のようなグループを準備していました。2AMのチャンミンのようにグループのラストメンバーで合流したのに、一人が抜けて3人グループになったんです。激しいダンスグループがコンセプトで皆歌に強みのある子たちでした。それでもっと練習時間が必要だからってデビューが遅れているうちに結局話が立ち消えになりましたけど。

ソウル風の声が
好きで、メンバーたちは私の声を「玉の転がるようないい声」と言ってくれます。カランカランとした声が強みですが声量が小さくてそれが悩みです。なるべく発音を噛みしめて声量が大きく感じられるように努力しています。

ソロアルバムの「昨日は」
でFly to the skyのファニさんとデュエットをしました。ファニさんの声はハスキーなので私と合うかどうか心配したんですけど、本人の歌い方を変えて私に合わせてくださるのを見て、「ああ、これがプロの力か、すごいな」って思いました。

パク・ファヨビさんからボーカルトレーニングを
受けてから私のロール・モデルが変わりました。普通の人は他の人の歌を歌うとその歌手の歌い方に似てしまうのですが、ファヨビさんは全ての歌を自分のスタイルに消化する魅力があります。見習いたいところが多い先輩です。

足のサイズが22.5
なので体を支えるのが大変です。ヒョソンさんは大きい足(24.0)がコンプレックスだっていうけど、反対に私は足が大きかったらなと思います。写真とか見るとつい足をチェックする癖がついちゃって……。

「醜いズボン」ってインターネットの書き込みに
傷つきました。ミュージックビデオを撮影する時、その衣装を見て、「私たちの個性が感じられるね」「大当たりするよ」って喜んでたのに。「醜いズボン」とか「オムツ」とか言われてしまうとは想像もしませんでした。次からは何故そう思うのか具体的な理由も一緒に言ってくれたらいいですね(笑)

アーティストのタミアが
好きです。どんな曲を歌っても安らかで、子守唄のような感じです。誰にとっても安らかだと感じさせてしまう部分を見習いたいです。特に「Officially Missing You」が一番好きです。負担を感じさせないし、すんなり受け入れられる曲です。

My name is
ジンガー。本名はジョン・ハナ。プッシーキャット・ドールズのメンバー、“ニコール・シャージンガー”から名前をつけました。

1990年2月2日生まれ。
一人っ子です。

「ジンガーバーガー」ってあだ名で
悩んだこともありますが、それだけ「ジンガー」が韓国人に馴染みのある単語なんだなって考えて名前を「ジンガー」にしました。同じ女なのにニコール・シャージンガーの眼に一目ぼれしました。自分が好きで、見習いたいと思っている人の名前を付けたのは運命のような気がします。

親という砦の中で
暮らしていた一人っ子なので寮の生活が慣れなくて。それなりに気を使ったつもりだったのに後で考えると全く配慮してなかったなような部分が多かったです。寮生活を8~9ヶ月しているうちに性格も結構変わったし、社会生活も勉強出来ました。

見た目の印象が強いんですが
意外と愛嬌があるんですよ。自分にそういった面があるなんて気付かなかったのに、一人っ子だからかでしょうか、周りからよくそう言われます。特に何か食べたい時は可愛く“駄々”をこねるのが上手いですよ。

Secretに入って
ラップを始めました。はじめはラッパーのユン・ミレさんのように歌わないといけないって緊張していて、だから「3年6ヶ月」をレコーディングする時もすごくぎごちなかったですね。でも段々と分かってきてからは自分の色が出せるようになりました。ハイトーンでラップをしながら低音の声を混ぜると自分の魅力が出るようです。

小学校の頃から
お洒落にすごく興味がありました。芸能人のイ・ウィジョンさんが履いていた底上げのスニーカーをよく履いていたので足の親指が痛んでしまって。最近でもヒールを履くと足が痛くなります。

芸能界を経験したことのある
歌手出身の母親がいろいろなアドバイスをしてくれました。歌手になるのを反対はしなかったのですけど、その代わり、「本当に大変な仕事だからね、失うものも多いだろうし」って話してくれました。

将来、音楽的なヒップホップを
する事になれば、リル・ママのような真剣なヒップホップをして見たいです。またパワフルでセクシーな感じの歌手もやってみたいです。

記者 : イ・カオン、写真 : イ・ジンヒョック、編集 : ジャン・キョンジン、翻訳 : イム・ソヨン